王家の谷:見学できる墓とチケットの仕組み

王家の谷の利用方法や公開中の墓、ツタンカーメン・セティ1世の別チケット、地質、墓番号、混雑の状況について解説します。

1分で読めます情報の確認日:2026年9月26日

要点

王家の谷はルクソールの向かいに位置するワジで、新王国時代のファラオが約500年にわたって埋葬されました(紀元前1539年頃~1075年)。65の墓や部屋が確認されており、KV1〜KV64の番号は1827年にジョン・ガードナー・ウィルキンソンが入口に描いたものです。1枚のチケットで東渓谷3つの墓を見学でき、ツタンカーメン、セティ1世、西渓谷の唯一の墓にはそれぞれ個別のチケットが必要です。開門と同時の到着がおすすめです。大型バスの団体は10時頃に到着し、内部はどれも狭いです。

王家の谷は、ナイル川西岸ルクソールのピラミッド型の山頂の下に位置する乾燥したワジで、古代エジプト人の言う「頂(The Peak)」の名の通り、この場所こそ多くの人がエジプトを訪れる目的になっています。新王国のファラオたちは約500年にわたり、ピラミッドに積み重ねるのではなくこの岩に墓を掘って埋葬されました。そのため、通路や部屋の壁一面にペイントや浮彫が残されています。65の墓と部屋が確認されています。そのうち18が見学可能ですが、同時に全てが開いていることはなく、1枚のチケットで3つの墓を選ぶ仕組みです。

意外と知られていないのは、そのエリアの狭さです。東渓谷は端から端まで数分の距離で、内部の通路も狭く、埋葬が止まってから2500年以上の時間が厳しく作用しました。古代にほぼ全ての墓が開けられ、空っぽにされています。残っているのは装飾で、先に墓の名前や特徴を調べてから行くと、滞在の満足度が上がります。

なぜこの場所なのか、なぜこうした形なのか

ピラミッドの役割は「財宝がここにある」と示すことでした。一方、新王国の王たちは入り口が一つで目立つ目印のない場所に墓を隠すことで安全性を高めました。谷の上の山頂はピラミッドの形をしており、最初にここに造営した王たちは地形の象徴性も重視したと考えられています。

実際に王が埋葬された墓は約20のみです。それ以外は、王家に仕えた貴族や王妃、王子・王女の墓、物品を保管する穴、防腐処理用の部屋、用途不明の穴等が含まれています。ラムセス2世が息子たちのために拡張したKV5は、120以上の部屋が確認され今も発掘が進んでいます。一方、KV54は単なる縦穴です。

岩質も形状に大きく影響します。谷は石灰岩や軟質堆積岩の層の上にあり、3500万〜5600万年前にできた層は数メートルごとに質が変わります。エスナ頁岩は水を含むと膨張し、周囲の石を押し広げてしまうため、墓造り職人たちは現場で形を調整し、予測不能な曲がり角を作った墓もあります。作業者たちは隣のワジにあるデール・エル・メディナ村で暮らし、給料や休暇、記録上初めてのストライキの様子まで詳細に残しています。

墓の形の変遷

18王朝初期の墓は通路をたどり途中で一度以上方向を曲げ、「屈折軸(ベントアクシス)」で埋葬室に至ります。この曲がりは実用性に加え、太陽神が冥界へ降下する様子の象徴だったとの説もあり、初期墓の埋葬室はカルトゥーシュ型で掘られる場合が多いです。アマルナ時代以降は平面が屈曲から緩やかなジグザグ型となり(典型はホルエムヘブの墓)、19~20王朝末にはほぼ直線・ほぼ傾斜なしで奥へ続くプランへ変化します。

多くの墓には「井戸」と呼ばれる縦坑が存在します。当初は洪水から埋葬空間を守るための防御設備でしたが、やがて単に平面計画に取り込まれるだけの象徴となり、終盤には掘られていなくても平面図上「ある」扱いとなりました。こうした細部にも、儀式が徐々に装飾へと変化した様子が見て取れます。

装飾も同じ流れを辿ります。最初期墓には冥界を夜の12時間太陽が旅するアムドゥアトの場面が淡く描かれ、ホルエムヘブ以降は「門の書」「洞窟の書」へと発展し、ラムセス3世の墓では「大地の書」、セティ1世以降は「天空の書」が天井に描かれます。目的は一貫しており、王が辿るべき冥界の地図を暗い部屋の壁に描いたものでした。

どの墓を見るべきか、選び方

チケットは東渓谷の3つの墓(入口で選択)に有効です。有名どころだけ巡るよりも、異なる時代から1基ずつ選ぶと充実します。例えば、初期の屈折型(トトメス3世やトトメス4世など)は下り通路と没入感を体験でき、第19王朝の墓は鮮やかな彩色や浮彫が特徴です。20王朝末(ラムセス9世や6世など)の墓は奥行が長く、ローマやコプト時代の落書きが千以上残されています(特にKV9)。

別途料金のかかる墓は3つです。KV17(セティ1世)は見学の中心に据えられるほどの作品で、長い通路いっぱいに浮彫と彩色が続きます。ただし浸水や閉鎖も多いため、当日の状況は入口で必ず確認してください。KV62(ツタンカーメン)は小規模で、規模よりも現場に自分が立つ体験が価値です。アイ(西渓谷)は尾根越えの別ルートが必要で、見学者はほとんどいません。

実用面で重要なのは時間帯です。夏は開門が早く、団体ツアーは10時前後に多く到着しますので、最初の2時間の方がはるかに快適です。墓内でのガイド説明は禁止され、見学者は静かに一列で進むよう求められます。狭い部屋で数千年の彩色があることを踏まえ、このルールは双方にとって都合が良いものです。

アクセス方法と暑さ対策

西岸にはルクソールから定期フェリーまたは橋を渡ってアクセスできます。その後はタクシー、ミニバス、自転車、またはメムノンの巨像脇を徒歩で向かいます。ルクソールのほとんどのホテルや運転手は、王家の谷、ハトシェプスト葬祭殿、巨像をセットにした「西岸観光プラン」を案内しています。日帰りで自家用車がない場合、これが効率的です。

駐車場から墓の入口まではほぼ日陰がありません。墓の内部は混雑時、屋外より暑くなります。水分持参、風で飛びにくい帽子、午前中早めの見学終了が全対策です。また注意事項として、1997年にデール・エル・バハリで発生した事件(外国人58人とエジプト人4人が犠牲)以後、西岸は厳格な警備体制となり、丘の道は自家用車が通れなくなっています。

王家の谷は、エジプトで唯一「人混みが設計に組み込まれている」場所です。墓は狭く、彩色も脆いため、誰もが同じ20分を求めます。早朝に到着し、時代ごとに選ぶ、そして普通チケット3つより高額墓を1つ選ぶ方が満足度は高いです。昼間は川辺で休むのがおすすめです。

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